台湾で紅茶?日本の遺産、震災きっかけに復活
ウーロン茶をはじめとする茶の名産地である台湾で、 日本統治時代に日本人がもたらし、 1930年代から60年代まで隆盛を極めながらも長らく没落状態 にあった台湾紅茶が復活の兆しを見せている。
1999年の台湾大地震後の復興策の一環として、 過去最大の産地だった中部・ 南投県魚池郷が生産を約30年ぶりに再開したところ、「 新しい味」として人気に火が付いた。
台湾茶販売の老舗店「新純香茶行」(台北市)によると、 台湾紅茶が脚光を浴び始めたのは「この2年くらい」。 一般的な台湾紅茶は100グラムで200~600台湾ドル( 約560~1700円)。輸入品の10倍前後の高値だが、 4年前から取り扱いを始めたところ、売り上げが3割伸びた。
渋味を抑えたまろやかな味が特徴で、地元客や海外からの客にも「 一味違った紅茶」と人気を呼んでいる。
行政院茶業改良場魚池分場によると、 台湾紅茶が台湾に根付いたのは1920年代後半。 台湾総督府中央研究所勤務の日本人技師、新井耕吉郎(1904~ 46)が、 海抜約800メートルの盆地にある魚池郷の寒暖の差が大きい気候 条件などが栽培に適していると判断。インド産アッサムなどと、 台湾の原種を交配させるなどして独自の紅茶を作り上げ、 日本や欧米にも輸出された。
しかし、その銘茶も70年代以降、 安い茶葉を混合した粗悪品が出回り、信用が失墜。 80年代以降は、市場からほぼ姿を消していた。
復活の契機は、南投県内を震源とする99年の台湾大震災だ。 大きな被害を受けた魚池郷では、同魚池分場が音頭を取り、 産業復興を紅茶復活にかけることにしたのだ。
その結果、 全盛期の年間生産量約1500トンには及ばないものの、 一時はほぼゼロまでに落ち込んでいた生産が徐々に回復、 現在は300ヘクタールで年間約300トンが生産されている。
紅茶作りの技術を伝える、石朝幸さん(80)は、「 かつては日本人が世界に送り出したが、今度は、 台湾人自身が世界に売り込む時だ」と、 黄金期の再来に期待を膨らませている。(台湾中部・ 南投県魚池郷)
石朝幸さん一家が生産、販売している台湾紅茶