2010/02/16

Black TEA made in Taiwan?!


台湾で紅茶?日本の遺産、震災きっかけに復活





ウーロン茶をはじめとする茶の名産地である台湾で、日本統治時代に日本人がもたらし、1930年代から60年代まで隆盛を極めながらも長らく没落状態にあった台湾紅茶が復活の兆しを見せている。
 1999年の台湾大地震後の復興策の一環として、過去最大の産地だった中部・南投県魚池郷が生産を約30年ぶりに再開したところ、「新しい味」として人気に火が付いた。
 台湾茶販売の老舗店「新純香茶行」(台北市)によると、台湾紅茶が脚光を浴び始めたのは「この2年くらい」。一般的な台湾紅茶は100グラムで200~600台湾ドル(約560~1700円)。輸入品の10倍前後の高値だが、4年前から取り扱いを始めたところ、売り上げが3割伸びた。
 渋味を抑えたまろやかな味が特徴で、地元客や海外からの客にも「一味違った紅茶」と人気を呼んでいる。
 行政院茶業改良場魚池分場によると、台湾紅茶が台湾に根付いたのは1920年代後半。台湾総督府中央研究所勤務の日本人技師、新井耕吉郎(1904~46)が、海抜約800メートルの盆地にある魚池郷の寒暖の差が大きい気候条件などが栽培に適していると判断。インド産アッサムなどと、台湾の原種を交配させるなどして独自の紅茶を作り上げ、日本や欧米にも輸出された。
 しかし、その銘茶も70年代以降、安い茶葉を混合した粗悪品が出回り、信用が失墜。80年代以降は、市場からほぼ姿を消していた。
 復活の契機は、南投県内を震源とする99年の台湾大震災だ。大きな被害を受けた魚池郷では、同魚池分場が音頭を取り、産業復興を紅茶復活にかけることにしたのだ。
 その結果、全盛期の年間生産量約1500トンには及ばないものの、一時はほぼゼロまでに落ち込んでいた生産が徐々に回復、現在は300ヘクタールで年間約300トンが生産されている。
 紅茶作りの技術を伝える、石朝幸さん(80)は、「かつては日本人が世界に送り出したが、今度は、台湾人自身が世界に売り込む時だ」と、黄金期の再来に期待を膨らませている。(台湾中部・南投県魚池郷)

石朝幸さん一家が生産、販売している台湾紅茶