2009/12/13

どうか、今年は、年越し派遣村がなくてすみますように。




年越し派遣村、今年は…?



新聞案内人の経歴

森 まゆみ  作家・編集者


もり・まゆみ 1954年生まれ(55)。早稲田大学政経学部卒業、東大新聞研究所修了。出版社勤務の後の1984年(30)、友人らと東京で地域雑誌「谷中・根津・千駄木」(谷根千工房)創刊。
 主な著書に『彰義隊遺聞』(新潮社)、『円朝ざんまい』(平凡社)、『一葉の四季』(岩波新書)、『「即興詩人」のイタリア』(講談社)、『断髪のモダンガール 42人の大正快女伝』(文藝春秋)など。歴史的建造物の保存活動にも取り組む。文化庁文化審議会委員も務める。


 就職氷河期だという。新聞を見ても、大学4年の息子に聞いても内定していない学生が例年になく多いらしい。高校卒はもっと条件が悪い。

 33年前(1976)の自分の「女子大生就職氷河期」を思い出した。
 男女雇用機会均等法(1972年「勤労婦人福祉法」として制定、85年改正で現在名に)の以前は、男子には求人があったが、女子のコーナーには張り紙はほとんどなかった。そこにフジテレビのリポーターの求人が4人あった日には、大学前からフジテレビ方面に行くバスが次々と女子大生で埋まった

 20通ほど履歴書を書いて送ったが、次々書類選考に漏れて、むなしさが募るばかり。そのころ潔癖な若者であった私は、コネで就職することを唾棄し、しかも歯医者の父に会社のコネなどあるはずはなかった。成績も良くないし、特技も資格もなく、こんな私を採用する企業なんてあるわけはないよなあ、と気分は落ち込んでうつ寸前。

 今はインターネットでエントリーするから、履歴書20通でなく、多い人は何百社も受けるのだという。そのストレスたるや私の比ではないにちがいない。でもあの時コネがあったりして運良く商社や銀行に入った女の同級生はみな辞めている。会社で補助業務にしか使われず、結婚や出産や育児ができる体制はなかったから。

 私はフリーで33年働きつづけて来たそれは商社マンや銀行員と結婚した彼女たちのように働かないですむゆとりがなかったせいもあるのだけれど。あきらめないで、と言いたい。

○NHK番組が突きつけた多くの問題

 新卒でない人にとっては、正規の就職はますます至難の業である。

 NHK・ETV特集「作家重松清が考える・働く人の貧困と孤立のゆくえ――『派遣村』の問うたもの」を見た(11月8日)。
 秋葉原連続殺傷事件の容疑者が派遣社員として働いており、契約打ち切りをほのめかされたことがきっかけで犯行に及んだそうである。そのことにはじまり、派遣という労働のあり方がいかに一人一人をバラバラにし、社会的なつながりを持てなくしていくか、それに対して闘う「首都圏青年ユニオン」という個人加盟の労働組合を紹介している。

 彼らは「派遣切り」など不当な解雇をされた仲間を支援して会社相手に団体交渉も行うが、興味深いのは、ユニオンは彼らに会社までの交通費を支給することである。地下鉄の切符代も彼らには「痛い」のだ。

いま、派遣をはじめアルバイト、パートなど非正規雇用の数は増え続け、37%におよぶという。町に出て目に入る、働いている店員さんも掃除のおばさんも宅配や引っ越しサービスのお兄さんも、ほとんどが非正規と見てよい。こうなると正規の職につけないのは自己責任なんかではぜったいない。

 少し前まで、派遣とは「通訳や製図など特殊な技能を持った人が高給で招かれる」といったイメージが強かったが、いまや「産業の縮小、拡大に応じて会社の手を汚さず、都合良く使える人たち」である。その派遣元がどのくらいピンハネをするかは、「コムスン」をはじめとする問題で昨年7月に廃業に追い込まれた派遣会社「グッドウィル」の事件で例証済みだ。

○ずっと前から「派遣切り」は常態化していた

 この番組では、労働者派遣法(1985年施行)の歴史も手際よく整理している。不明を恥じるが、この法律はそもそも「法律によって禁止されていたが、実態として広がっていた派遣を合法化するとともに、派遣社員によって正社員の仕事が奪われることを防止する」法律だったという。派遣社員を守る法律ではない。

 それが、対象業務がなし崩し的に拡大し、小泉新自由主義政権のもとで2003年、製造業への派遣が解禁される。自動車製造の現場でも派遣社員が働き、契約期限に関わりなく派遣切りされる状態が、「派遣切り」という言葉が生まれる前から常態化していた。あるいは偽装請け負などもあとをたたない。

 保育、図書館、相談員などの公共分野の雇用でもパートやアルバイトが多い。わが家のある区でも、図書館のカウンターなど「合理化」の名の下に指定管理者制度で業者が請け負い、その業者が使いやすい労働者を派遣して来るため、前にカウンターにいた近所のおばちゃんが切られ、何となくアットホームな感じが失われた。土地のこともよく知らない若い派遣の人が業者に管理されながら働いている。
番組では、東京都の非正規職員の女性が、子供が熱を出しても休めず、同じ仕事をしている正規職員は子供が熱を出すと有休を取って休むことに、「正規職員の子と非正規職員の子と、命の重さに違いがあるのですか」と泣いて訴えていた。

 37%まで非正規(「非正規」などという言葉ももうおかしい)になった国では「同一労働、同一賃金、同一待遇」にすべきであろう。といってもこの問題を追及すべきテレビ、新聞、出版なども、嘱託パートアルバイが何層にもあるような職場なのだけれど。

 大学もそうだ。自分が正教授であった時、給料を1年のコマ数で割ってみたら、1コマが非常勤講師をしていたころの10倍近くになってソラオソロシクなった。もちろん教授会や入試などの業務も多いのではあるが、非常勤講師はひとコマせいぜい6000円くらい。何かというと「非常勤を使えばいいじゃない」という同僚には腹が立った。非常勤を掛け持ちしても暮らせないのだから。

○残業代もらえぬ「名ばかり管理職」

 かといって正社員がいいかというと、そうともいえない。番組に出ていた24時間の100円ショップの店長さんは正社員だったが、朝まで働き、1時間寝てまた出勤、朝から働き、1ヶ月の労働時間が343.5時間にも及んだが、管理職であるとして残業代が払われなかった。月給を働いた時間で割ると最低賃金を大きく割り込む。体と気持ちに変調を来たして休職に追い込まれた後に、名ばかり管理職」であるとして裁判を起こしている。類似のケースだが、マクドナルドの店長職にあった人が時間外・休日割増賃金などを支払ってもらえなかったとして訴えた裁判で、東京地裁は昨年1月、未払いの割り増し賃金などを支払うよう命じる判決を出している。
この番組からは、いろいろな現実の問題を突きつけられた。長い番組だったが考えるためには何度でも放送してほしい。

 重松清さんが、「取材をした前と後では、風景が変わって見えた」と言っていたが、私もそう。就職も結婚もしない息子や娘に、戸惑ったり、いらだったりしてはいないだろうか。私もその一人だった。

 変わらなければならないのは、子供でなく親の方らしい。一生懸命働けば、暮らしていけるし、家も持てる」というような時代は過去のことになった。自分たちのプライドを守るためには、この社会の仕組みそのものと闘うことあるのみだ、と思う。親もそれを支援しよう。

 どうか、今年は、年越し派遣村がなくてすみますように。

0 件のコメント: